毎年クリスマスの時期になると、三つの異なる大陸で生息している我が家族は大移動に乗り出してミラノで集合します。
いつもタイトな日程と長旅の疲れもあって、大がかりな遠足は難しいですが、必ずミラノから日帰りできる1~2都市ぐらい、かみさんと息子を連れていくことにしています。
しかし、悪天候という非常事態になった場合、遠足をあきらめてミラノ市内で楽しく過ごせるプランB(プランCも・・・)も必ず用意することにしています。それが、自分の生まれ育った街の再発見にもなっています。
2019年は、ほとんどの店が休んでいる12月26日に、案の定天気が悪くみんな体力が尽きたので、アンブロジアーナ絵画館に行くことにしました。
ミラノ大聖堂にほど近いアンブロジアーナ絵画館は、所蔵品だけではなく建物自体も重要文化財です。それは、400年前にできた建築物だと思ったら納得します。その背景も実に面白いです。
それでは、スペイン・ハプスブルク家に統治されていた17世紀初頭のミラノ公国にタイムスリップ!
ミラノの大司教であったフェデリコ・ボッロメオ枢機卿は、誰もが学問と芸術に接するような場所を提供したいと考え、まず1609年より公開されたのは、今でも存在するアンブロジアーナ図書館。当時の欧州では、一般公開されていた図書館はオクスフォードやローマにしかありませんでした。しかし、ボッロメオは図書館に止まらず、さらに1618年から同じ建物の中で美術館を、そして1621年から美術学校も開きました。
アンブロジアーナ絵画館の入り口付近に聳え立つラオコーン像。
本物(といっても、ローマ時代の複製品)はもちろんバチカン美術館にある。
ローマの数々の文化財をミラノでも何とか再現したいというボッロメオ枢機卿の思惑を伺わせる彫刻。
アンブロジアーナ図書館。まるで「薔薇の名前」の世界。
現在この図書館には、アトランティコ手稿と呼ばれるレオナルド・ダ・ヴィンチ最大の資料集(ノートやスケッチを死後にまとめたもの)12巻を所蔵していることでも有名です。
2019年はダ・ヴィンチ没後500年にあたり、あちこちで展覧会が開かれており、ここでもダ・ヴィンチのスケッチや絵画の特別展がありました。所蔵品であるダ・ヴィンチの絵画「音楽家の肖像」は今回残念ながら貸し出し中でしたが、カラヴァッジオやブルーゲルの傑作も常設で展示されています。
昨年12月で開催されていたダ・ヴィンチ特別展示会では貴重なスケッチも見ることができた。
カラヴァッジオの「果物籠」(1595年 - 1596年頃)
がしかし、何と言ってもこの美術館を世界的に有名にしているのはラファエロの「アテナイの学堂」(1509~1511)の原寸大の下絵です。
下絵が残っているのは、実際にフレスコを描くために使用されなかったという意味をします。
なぜなら、日本の浮世絵の下絵を木版にトレースする時と同じように、ヨーロッパのフレスコの下絵を壁に移す過程で、下絵が破壊されるのは仕方のないことでした。
そのような理由で、ルネッサンス時代からほぼ完全な状態で今日まで残った下絵はこの一作だけです。
なぜこの下絵が残った、つまり実際に使われなかったのか。ラファエロは、さらにコピーもしくは別バージョンを制作して使用したのでしょうか。経緯に関して不明点が多いですが、ボッロメオ枢機卿自身の意向で、制作から約100年後の1610年からアンブロジアーナ図書館に、この下絵が保管されて来たことだけは確かです。そして、この下絵が、夭折した天才芸術家、ラファエロの優れた画力を伺わせ、バチカンにある完成品のフレスコに負けない迫力あふれる作品であることも間違いありません。
ところで、この絵画館でのディスプレイも実に見事です。
暗幕を張り巡らした展示室に入ると、まず大画面に映像が流れています。プラトンやアリストテレス、ピタゴラスなどのギリシャの哲学者の名前やラファエロがそれぞれの哲学者を絵の中でそこに配した理由など、絵の詳細な説明がわかりやすくまとまっています。(英語字幕もあります。) また、完成版の彩色もビデオで見ることができるのが楽しいところです。
大画面の奥に進むと、ありました!壁一面の「アテナイの学堂」の下絵です。ビデオを見ると、絵の意味が理解でき感慨深く見ることができます。
下絵は285 x 804センチという圧倒する大きさ。欧州最大の一枚ガラスに保護されている。
主に(でもそれに限らず)古代ギリシャの哲学者が描かれているが、
それはラファエロ同時代の偉大なる芸術家の顔をしたり(真ん中のプラトンはダ・ヴィンチにそっくり)、
彼のアーティスト仲間や自画像まで人物群衆の中から見え隠れしたりという、
実は遊び心あふれる作品に仕上げている。
ちなみに、この下絵になくてバチカンのフレスコにある人物は、
ミケランジェロに似せたと言われているヘラクレイトス(フレスコでは左中央に階段に座っているところに配置)。
ラファエロと同時期にローマでシスティーナ礼拝堂(1511公開)を手掛けていたミケランジェロへの敬意を込めて
後で追加されたという説もある。
この下絵は、1796年、ナポレオン軍が北イタリアを征服した時に一旦パリのルーヴル美術館に運ばれましたが、ナポレオン政権が崩壊した後、1816年にミラノに返却されました。
そして、第二次世界大戦の戦火を免れた後、不定期にしか展示されませんでした。500年前に描かれたものですので、痛みが激しく、私が美術高校の学生だった頃も未公開時期や部分修復中で見ることはできなかったことを覚えています。
ところが、2014年からおよそ4年にわたる時間と労力をかけて修復作業か行われて、2020年3月よりめでたく再び人の目に触れるようになりました。その大変な様子も展示されているタブレットで見ることができるのですが、原画の裏打ち作業に和紙が使われており、かみさんと息子は日本人として誇らしいと言っておりました。
建物の中庭も美しく、日本ではなぜかあまり知られていないアンブロジアーナ絵画館ですが、コロナが落ち着き、ミラノに行かれる折には是非お立ち寄り下さい。